若槻礼次郎と岸清一は、幕末に松江市雑賀町で 松江藩の足軽の子
として生まれた。
若槻礼次郎は、昭和初期に首相を二度経験し、昭和5年にロンドン海軍軍縮会議に
首席全権として 条約に調印。
太平洋戦争の最中、軍事政権の東条英機首相を論破し、
東条英機に首相を辞めさせたことは あまり知られていない。
太平洋戦争の後、欧米から平和主義の政治家として評価される。
岸清一は、弁護士としての豊富な国際経験を買われ、
大日本体育協会の会長に就任。
スポーツを通して 国際親善に尽くした。
岸は、学生時代、ボートの選手でもあった。
彼は、近代スポーツの父として慕われたが、
法曹界の重鎮でもあった。
渋谷区の岸体育館は、岸清一の遺産で建築された。
松江中学(現 松江北高校)で 二人は同級生。
後に 竹下登 も松江中学に入る。





2017.03.04 Sat l 未分類 l コメント (0) l top

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