私は、社会人になってから、
英語のリスニングに関し、
初級者から上級者レベルにまで上達した。
最初の頃は、お気に入りの洋画を
何度も観て、英語のセリフと字幕を確認した。
はっきり言って、この方法では、
上達しなかった。
そこで、TOEFLの問題集を購入し、
テープを聞くのだが、
一言一句、書き取りをしたのだ。
そう、ディクテーションである。
最初の頃は、単語二つや三つを書き取るのが、
やっとであったが、そのうち、
単語五つに増え、次第に、一文すべて、
書き取れるようになった。
当時、ラジカセのポーズボタンを
何度も押したものだ。
この訓練のおかげで、ビジネス英語を
十分に聞き取れるようになった。
一年以上の月日を要した、と思われる。
ただし、耳がやけに敏感になってしまったが。
私は 自分の著書「東大卒のお父さんが教えた
大逆転勉強法」の中で、
クラシック音楽を聴きながらの勉強に
こだわり過ぎた、と反省している。
好きなら、ユーミンや竹内まりや、中島みゆきを
聴いても 差しさわりはない。
また、何もない静かな状況で勉強しても
問題ない。
クラシック音楽を聴くことは、耳を研ぎ澄ませ、
リスニングに有利だったり、
クラシック音楽を聴いている間は、
より集中して 勉強できる。
また、曲によっては、気分を高揚させる
こともできる。
その代表的な曲が、ドヴォルザーク「新世界より」である。
叙情的な気持ちで聞き入るうちに
壮大な交響曲に感動できる。
まさに新世界に驚嘆することになる。
緒方洪庵は、天然痘の治療に貢献した、
日本の近代医学の祖である。
彼は、大坂の船場にオランダ語の私塾 適塾を開いた。
適塾には、医師を志す者や
西洋の学問を志す者が集まった。
塾生たちは、30畳の部屋に住み、
ひとり1畳があてがわれたが、
オランダ語の成績がいいと、
日当たりが良く、風通しのいい1畳が
あてがわれたと言う。
適塾では、
日本近代陸軍を創設した大村益次郎、
慶応義塾を創立した福沢諭吉、
日本赤十字社の初代総裁である佐野常民 らが、
学んだ。
緒方洪庵は、吉田松陰と同じく、
我ら教育に携わる者にとって、
理想の人物である。
勝海舟は、剣術の師匠 島田虎之助から
これからは 西洋式の兵法の時代になると
蘭学を勧められる。
当時、オランダ語を解説した辞書
「ヅーフハルマ」は、全58巻で、
人気の的だったが、60両もする高価なもの。
その持ち主を紹介された勝海舟は、
1年間10両の借り賃で、貸してもらう
ことにしたが、後払いとした。
彼は、全58巻を2部ずつ書き写す。
1年後、完成すると、
1部を知人に10両で売り渡し、
その10両を借り賃として、
持ち主に支払った。
結局、勝海舟は、1銭の出費もせずに、
「ヅーフハルマ」を手に入れ、
オランダ語を習得した。
1年間で全58巻を2部ずつ書き写すことは
至難の技であったが、
貧しい勝海舟にとっては、
それしか方法がなかったのである。
我々現代人は、この驚異の勉強法に
驚くだけでなく、この精神を学ばねばならない。
今年のサンデー毎日に全国 1013の高校の
大学別合格者が掲載されている。
卒業生の人数も載っており、
この人数に入ってない人は
どうしたのだろうか、と思う。
また、ひとりで複数の大学に合格すると、
そのまま掲載される。
主要な大学に合格していないか、
浪人の道を選んだ人は、掲載されない。
これこそが、大学受験の厳しさを物語る。
私は、この一冊は卒業生が懐かしんで、
購入するものだと思っている。
現役の高校生は、自分の進みたい道を決め、
それに沿って、自分の志望大学を決め、
準備を進めればいいのである。
自分の高校は、上から50人に入らないと、
この大学に合格しない、などと
勝手に決めつけてはいけない。
あくまで自分の進みたい道を決め、
そこから進むべき大学を決めればいい。
そして、自分の可能性の大きさを信じること。
道が決まったら、ものすごいパワーが出ます。
ひるまず、自分の道を進んでいこう。